今回はパラアスリートへのサポートに関わる中で気づいたことなどを、お伝えできればと思います。

健常、パラ、様々なアスリートへのコンディショニングサポート

私がJリーグクラブに在籍していた2001~2018の間は、サッカー選手に対して、練習やトレーニングの前後にケアを実施、提供していました。

国立スポーツ科学センター在籍期間(2019~2022)、またそれ以降の期間(2022~現在)は、主にパラアスリートを対象にコンディショニングサポートをおこなっています。

健常(障害を持たない)アスリート、障害を持ったパラアスリート、それぞれに対して様々なコンディショニングサポート(ケアやトレーニング)を行ってきましたが、対象アスリートが健常者であろうと障がい者であろうと、大きな原則は変わりません。

「現状よりも少しでも良い状態に向上できるようにサポートすること」

そのために、対象の状態を細かく観察して、いま現状で自分が持っている技術や知識の中から最適な方法を用いて、対象に投下していく。用いた方法が適切だったかどうか、直後やしばらく後の様子をまた観察、評価しながら、より適切な方法があればそれを模索する、など細かな修正を加えながら、アスリートに向き合っていく。その繰り返しです。

もちろん、個々人はもちろん健常アスリートと障害アスリートでは、持っている条件(肉体的なものや精神的なものなど)が様々違うので、その特性に応じてコミュニケーションの取り方や、サポートに用いる技術など手法は変わってくるので、そのつど工夫は欠かせません。

パラアスリートの体や心の特性

パラリンピックに出場するようなアスリートの方々に、どのような障害の人がいるのか、おおざっぱにですが挙げてみます。

・四肢(腕や脚)の障害 …生まれついてもしくは生後の事故や病気などによって、手や足がない、短い、など。

・脊髄の障害 …生まれついてもしくは生後の事故や病気などによって、脊髄に損傷を受けて体の一部分や大部分のまひや機能不全を抱えている

・視覚の障害 …生まれついてもしくは生後の事故や病気などによって、視力がとても弱かったり明るさの調整が困難、視野が部分的に欠けている、ほとんど見えない、もしくは全く見えない(全盲)など

・知的障害 …発達期までに生じた知的機能の障害によって、知的能力と社会生活への適応能力が遅れた水準にとどまり、日常生活において困難を抱えている状態

パラアスリートはそれぞれの障害に応じて、「クラス分け」というテストのようなものを受けて、自分の障害に適した競争レベルに分かれてスポーツの成績を競うのが、パラスポーツです。

体の状態も心の状態も、障害に応じて様々なので、トレーナーがパラアスリートをサポートする際も、その特性を考慮、理解したうえで対応する必要があります。

パラアスリートへのサポートにおける一例

・四肢の障害の場合

腕や脚がない、もしくは短い、などの四肢障害の場合、日常生活動作やスポーツ動作において、健常者とは異なる様々な特性(偏りや代償動作)が生じてきます。

例えば右腕がない場合などは、左側とは腕の重さも違う、また日常動作やスポーツ動作で健常側(左腕)を主に使うことが多くなるため、背中や肩回りなどの筋肉の付き方が左右で大きく異なっていることが多い。そういった場合は、アスリートの訴える疲労感や痛みへの対処は、抱えているアンバランスを考慮してケアや補強トレーニングを提案していくことが重要になります。

・脊髄の障害の場合

脊髄の障害が脊椎のどの場所で起こっているかによって、抱えている障害が人によって様々。

例)片脚が動かしづらい、両脚が動かしづらいが立つことは出来る、体幹から上は動くが脚は全く動かないので立てない、腕や胸まわりは動かせるが体幹の筋肉は動かしづらい(動かない)、首から下はほぼ動かない、など

アスリートの体に残存する(失われていない)機能を最大限生かしつつ、スポーツ動作が少しでもうまく強く速く行えるように、動かしづらい部位を少しでも動くようにトレーニングやケアを工夫していく、などのサポートが求められます。

・視覚の障害

視覚以外の身体的な障害がないアスリートの場合は、四肢や体幹の機能は健常者と同様なので、トレーニングやケアは基本的には健常者と同じようにサポートしていきます。

視覚障害者のサポートとして特有なのは、障害の程度にはよりますが、競技以外や日常の動きの中でのサポートが必要になることが多いことです。(練習場や宿舎などへの移動を共にする、ウェイトトレーニングの機器を用意し手渡す、トレーニングやケアの際は周辺の安全管理をより徹底する(本人に周囲が見えていない分をカバーする、など)

また先天的に目が見えないアスリートは、正解とされる競技動作をそもそも見たことがないので、指導方法にも工夫が求められるケースもあります。例えば水泳のバタフライを今よりも向上させようと、コーチが良いフォームを教えたくても、そもそも良いフォームも悪いフォームも見た経験がないので、体の動き一つ一つを修正していくことに時間がかかることがあるようです。後天的に見えなくなったアスリートとは大きく異なる点です。

また視覚障害を抱えたアスリートは、恐怖感もあって全体的に後ろに重心がかかったように動作する傾向もある、など特有の身体操作をおこなうことがあるので、それに応じたトレーニングやケアのサポートが必要になることもあります。

パラアスリートとの普段の接し方

コンディショニングサポートにおいて、健常者とは異なる様々な細かな工夫は必要にはなりますが、一人の人間として、アスリートとして競技に真剣に取り組んでいる姿勢には、障害の有無は関係なく尊敬の念が湧いてきます。こちらも最大限のサポートが出来るように、その時点での最良のものを提供しようと集中して仕事が出来ます。

また、普段の人間としてのパラアスリートとの接し方は、健常のアスリートや普通の方と接するのとまったく違いはありません。一生懸命に何かをやっている普通のお兄ちゃんやお姉ちゃん(時にはおじさんやおばさん)たちです。それぞれに性格が違うのは健常者も同じで、すごくフレンドリーな人もいればとっつきにくい人もいます(笑)

日々共に過ごしていると、アスリートの障害に対しても慣れてくるので、例えば片脚がないことや目が見えないこと、車いすに乗っていることなどに対して、何の違和感も抱かなくなって、それが「当たり前のその人」になってくきます。

もちろんちょっとした一定の配慮は必要な時もありますが(自販機の中身が分からないのでボタンを押してあげる、など)、概ねほぼ「普通の」人と接するのと変わらずに過ごすようになります。

目の前にいるあの人が当たり前の存在になることがバリアフリー

現在、社会の様々なところでバリアフリー化が進み、障害を持った方が物理的に行動をしやすい施設などが増えていることを感じます。そして物理的に行動をしやすいということが、以前よりも人に気を遣わずに行動を出来ること、結果として心理的なハードルを下げることにつながる、ということが以前よりは多くなっているのかな、と思っています。

でも、特に障害を持っていない側の人が、障がい者やパラアスリートとどう接してよいか分からず、悪意はなくとも必要以上に身構えてしまったり、拒絶してしまったりすることもあるのかも知れません。

そしてそれらの多くの場合、悪意はなく単に知識不足、経験不足に起因することが多いようにも思います。

私は家族に身体障がい者(母、大腿切断で義足)がいたこともあり、障がい者と接する機会は人よりも多かったですが、それでも主たる仕事としてパラ競技に関わり始めた当初は、少し身構えて緊張していた自分がいたようにも思います。それでもパラ競技の現場に行くと、言い方の少し悪いかも知れませんが、あっちにもこっちにも障害を持ったお兄ちゃんやお姉ちゃん、おじさんおばさんがいるので、当初はいつしか自然と身構えなくなっていっている自分がいることに気づきました。

彼らとのコミュニケーションに慣れるとともに、相手のニーズを知ろうとすること、私の場合はパラアスリートの要望(競技力向上のためのサポート、痛みの軽減など)を徐々に理解していく中で、自然に違和感なく接することが出来て、相手に何が必要かも身構えることなく聞けるようになっていきたと思います。

目の前にいるその人が、当たり前の存在になる、そのことが「バリアフリー」ということなのかな、と生意気ながらも感じています。

パラアスリートの、アスリートのトレーナーとして

現在(2024年秋)はおもにパラアスリートのサポートに関わっていますが、仕事としてアスリート(健常、パラ問わず)に関われることが本当に楽しくて幸せだな、と感じます。

自身の目標に向かって日々練習やトレーニングを頑張る姿、特にパラアスリートの場合、練習や競技以前に日常生活へのアクセスで少し不便を抱えているケースもあるので、そういったことも飲み込みながら協議を続ける姿には、本当に尊敬の念を抱かされます。

アスリート、パラアスリートをサポートする立場として相応しい仕事を追求し続けていければ本当に幸いだと思いますし、そうなれるように人格面でも自分を磨いていかなければ、と感じています。

ある若い方からのご質問に答える形で、自分の考えをまとめ始めたら、こんなにつらつらとまとまりのない長文になってしまいましたが、分かりづらい点などあれば聞いてもらえたらありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。